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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)2451号 判決 1955年6月28日

控訴人(被告) 新潟県知事

訴訟代理人 皆川鉄次 外一名

被控訴人(原告) 高橋正己

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、被控訴代理人において、「控訴人の主張する被控訴人と高橋恒太郎間の本件農地の賃貸借は昭和二十五年十二月半ば頃以後農地賃貸借契約書(乙第五号証)の作成されたときに締結されたものである。従つて昭和二十五年九月十一日に公布された「自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令」(昭和二十五年政令第二八八号以下譲渡政令と略称する)第一条第二項により自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項各号による買収は行い得ないものであるから、本件農地買収処分は違法である。」と述べ控訴代理人において、「本件農地は昭和二十一年十一月二十三日現在において高橋吉松に賃貸されていた小作地であるから、譲渡政令第一条第二項の適用はない。しかして本件農地は買収計画を定める時期において小作地であつたのであるから、本件農地買収処分は違法ではない。」と述べた外、原判決事実摘示記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

<証拠 省略>

理由

被控訴人が新潟県南魚沼郡湯沢村大字熊野二千四百十一番の三、田一反七畝二十三歩を所有していたこと、新潟県南魚沼郡湯沢村農業委員会が昭和二十七年十一月十二日右土地につき自創法第三条第一項により買収計画を定め、控訴人は右買収計画に基き同年四月一日付買収令書を同年四月十七日被控訴人に交付して、右土地を買収したことは、当事者間に争のないところである。

被控訴人は、第一に、その母セキ、妹シンが湯沢村にある被控訴人所有の農地につき農耕の業務を営み、被控訴人は昭和二十二年七月から昭和二十三年四月までその妻子と共に湯沢村に住んで、セキ及びシンと同居していたが、その後最高裁判所事務総局に勤務するため東京都に移り、湯沢村に住所を有しなくなつたが、右セキ及びシンは引きつゞき湯沢村において被控訴人所有の農地につき耕作の業務を営んでおり、被控訴人も昭和三十四年頃には転職して湯沢村に帰住する予定であるから、湯沢村農業委員会は、被控訴人が自創法第四条第三項にいわゆる「当該農地のある市町村の区域内に住所を有するに至る見込がある」と認めなければならないにもかゝわらず、これを認めず被控訴人を不在村地主と認めて本件買収計画を定めたのは、違法であると主張しているので、按ずるに、被控訴人の母セキ、妹シンが湯沢村にある被控訴人所有の農地につき農耕の業務を営んでいることは当事者間に争なく被控訴人が昭和二十二年七月から昭和二十三年四月までその妻子と共に湯沢村に住んで、セキ及びシンと同居していたことは、成立に争のない甲第十ないし第十二号証並びに原審における被控訴人(原告)本人尋問の結果によつて明らかであり、被控訴人が最高裁判所事務総局に勤務するため東京都に移り、湯沢村に住所を有しなくなつたが、セキ及びシンが引きつゞき湯沢村において被控訴人所有の農地につき耕作の業務を営んでおることは、当事者間に争がない。

控訴人は、被控訴人が湯沢村に住所を有しなくなつたことは、自創法第四条第三項の「正当の事由に因つてその農地のある市町村の区域内に住所を有しなくなつた場合」に該当しないと主張しているけれども、本件においては、被控訴人は湯沢村に住宅を有し、その母及び妹夫婦をこれに居住せしめ、被控訴人自身も時々湯沢村に帰つて家政を処理しているのであるから(右は原審における被控訴人(原告)本人尋問の結果によつて認められる)、被控訴人としては湯沢村における生活関係から全く離脱したのでなくて、自ら選んだ職業上の制約により己むなく湯沢村の外に生活の本拠を移したものと認められる。けだし自創法第四条第三項が規定された趣旨は、同法第二条第四項、同法施行令第一条に比して、農地所在地における生活関係を維持する者を在村地主とみなす範囲をさらに拡張するにあつたことから考えれば、本件の場合被控訴人が湯沢村を離れた事由をもつて正当の事由と認めるのが相当である。

従つて、被控訴人は「当該農地の所有者が当該農地のある市町村の区域内に住所を有するに至る見込があると市町村農業委員会が認めるとき」という一要件を除き、自創法第四条第三項の在村地主とみなされる要件をことごとく充足しているものと認むべきものである。

しかして、本件においては、湯沢村農地委員会は、昭和二十六年七月四日自創法第四条第三項に従い、被控訴人を在村地主と認める決議をしたが、控訴人から再議を命ぜられ、その後成立した同村農業委員会は、審議の結果昭和二十六年十一月二十六日被控訴人が湯沢村に住所を有するに至る見込があるものと認めないことゝし、さきの認定を取り消して被控訴人を不在地主と認める決議をしたことは、当事者間に争のないところである。そこで問題は湯沢村農業委員会が被控訴人は湯沢村に住所を有するに至る見込があると認めなかつたのは、違法であるか否かの点に帰着する。自創法第四条第三項に規定せられた市町村農業委員会の「住所を有するに至る見込」の有無の認定は、いわゆる法規裁量行為の一つであつて、客観的事実を認定した上、これに基き通常の事例を参酌して判断すべきものであるからこれが判断を誤るときはもとより違法の行為たることを免れぬものである。よつて進んで本件の場合を証拠について調べるに、成立に争のない甲第一ないし第四号証によれば、湯沢村農地委員会は、昭和二十六年七月四日十名の委員中七名出席して会議を開き、満場一致で被控訴人は自創法第四条第三項の規定による在村地主であると決議したところ、控訴人新潟県知事は、農地調整法第十五条ノ二十八の規定に基き、湯沢村農業委員会長(昭和二十六年法律第八十九号農業委員会法の施行に伴う関係法令の整理に関する法律附則3の規定により湯沢村農地委員会の決議は右決議の後に成立した湯沢村農業委員会の決議とみなされた)に対し前記議決が著しく不当なるものとして、再議を命じ、その理由として「自創法第四条第三項の規定に謂う農地の所有者が当該農地のある市町村の区域内に住所を有するに至る見込がある云々の範囲は厳格に解釈すべきであつて、尠くとも二、三年中に帰る見込がある者等に限らるべきである。従つて本件の如く官庁に奉職し、その年令、職務の安定性並びに同人と高橋シンとの契約書に現われている文言等からして客観的に到底こゝ二、三年中には帰来する者とは思われずかくの如き事情にあるものをして強いて本条に適合させることは妥当でない。」と通告したこと、湯沢村農業委員会は、右再議命令に従い昭和二十六年八月十一日会議を開き、被控訴人を会議に招いて近い将来帰村の意思があるか否かを尋ねたところ、その際被控訴人は、「二、三年中に帰ると言明は出来ないが、村を捨てる事はできないことである。家もあり、宅地もあり、まだ相当の財産がある。それ以上に先祖の墳墓の地である。必ず帰ることだけは間違ない。母が老齢のため何時死ぬかも知れない現在東京に長く居るつもりはない。帰つて来た際の生活の方法は耕作する傍ら学校か又は適当な処え、就職したい」と答えたため、湯沢村農業委員会は、新潟県当局に対し控訴人の示した「二、三年中に帰来する者」と、農地改革資料の解説に「将来その村に帰つて生活する見込があると認めれば」とあることとの差違について照会したが、回答が得られないまま昭和二十六年十一月二十六日再び右議題につき会議を開き論議を重ねた末、無記名投票によつて、五票に対する八票の多数をもつて被控訴人は湯沢村に「住所を有するに至る見込があると」認めないこととし、被控訴人を不在地主と認定したことが明らかである。

しかして、被控訴人は、本訴においては昭和二十四年頃には湯沢村に帰住すると主張し、成立に争のない甲第十四号証と当審における被控訴人本人尋問の結果とを綜合すれば、被控訴人は、現に東京都内において居住し、昭和三十年十二月十七日現在においで、長男は大学二年に、二男は高等学校二年に、三男は中学校二年に、四男は小学校五年に在学し、五男は同年四月小学校入学の予定であることが認められるから、湯沢村農業委員会が被控訴人が湯沢村に「住所を有するに至る見込があると」認めない旨の議決をした昭和二十六年十一月二十六日当時においては被控訴人が湯沢村に住所を有するに至るのであろう時期は被控訴人の主張に従うも七年余の将来に属し、被控訴人の子に対する教育関係を考慮に入れれば更に帰住の時期がおくれるかも知れない状況にあつたと認定するのが相当である。

しかして、自創法第四条第三項にいう「住所を有するに至る見込がある」と「認める」べき場合について、法文上その帰住の時期が明言されていないけれども、同条項は本来不在地主であるものをそうでない者とみなした規定であることと同条項前段に「引き続きその者の配偶者又はその者と同居していた二親等内の血族が当該農地について耕作の業務を営んでおることを一要件としていること、及び同条第四項に市町村農業委員会が「二年ごとの審査」により同条第三項に引きつゞき該当するかどうかを決定することを要する旨の規定があることから考えて右法律は、農地の所在する市町村の区域内に住所を有しなくなつた者が、再び「住所を有する」に至る時期、すなわち農地の所在地にのこした家族と結合される時期を、控訴人のいうように二、三年に限定しないまでも、さまで遠くない将来に予想し、このことを前提として帰住の見込の認定を市町村農業委員会の良識に委ねたものと解するのが相当である。けだし遠き将来における帰住の見込は帰住の蓋然性があるということができるとしても必ずしも帰住の見込があるということができないからである。しかして本件の場合前記認定の状況の下においては、湯沢村が被控訴人の祖先墳墓の地であり、本件農地以外家屋敷その他の財産を有していることを考慮に入れるも、必ずしも確実に帰住の見込ありということができないので湯沢村農業委員会が「被控訴人が湯沢村に住所を有するに至る見込がある」と認めなかつたのは相当であつて、これを目して、事実の認定ないしは法規の解釈を誤つたものといゝ難い。従つて湯沢村農業委員会が被控訴人を不在村地主と認めて本件買収計画を定めたことは、自創法第四条第三項に関する限り、これをもつて同法条に違反した行為とすることができないことは明らかである。

被控訴人は、第二に本件土地は小作地でなかつたと主張するので、以下被控訴人の主張するところを検討する。

被控訴人は、まず、本件土地はもと高橋吉松に賃貸していたが昭和二十一年十二月中同人から返還を受け、爾来昭和二十六年一月頃本件土地を高橋恒太郎に賃貸するまで自作していたもので、被控訴人の分家にあたる高橋恒太郎が被控訴人のためその耕作につき労力を提供していたと主張するけれども、原審証人高橋恒太郎の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果を綜合すれば、被控訴人は昭和二十一年本件土地を当時小作させていた高橋吉松から返還を受け、これを自作地としたけれども、事実上は昭和二十二年春から小作料の定なく高橋恒太郎に耕作せしめ、その収穫の全部を同人をして収得せしめておいたこと、高橋恒太郎は、被控訴人との合意に基かないで、昭和二十三年度同二十四年度に本件土地の小作料として一年四十五円ずゝを農業組合の被控訴人の貯金口座に払い込んでいたことが認められるから、昭和二十二年以後昭和二十四年末までは、高橋恒太郎は使用賃借による権利に基いて本件土地を耕作していたものと認めるのが相当で、同人が一方的に小作料を被控訴人の貯金口座に払い込んだとしても、これを以て被控訴人との間に賃貸借を成立せしめるものでないことはいうまでもない。被控訴人自身も、原審における被控訴人(原告)本人尋問の結果中で、「本件土地を恒太郎に耕作させることに話が決つたのは昭和二十一年暮か昭和二十二年三、四月頃迄の間であるかは母に一任していたため明確には判りません。その後恒太郎は本件土地の収穫物を私の家に持つて来ず自分の家に持つて行つたということは聞いています。昭和二十一年暮以後恒太郎に作らせていた土地は本件土地以外にはありません。私は昭和二十一年二十二年の小作料を恒太郎より直接貰つたことはありませんが、昭和二十三年二十四年度にそれぞれ四十五円ずつを農業組合の私の貯金口座に払い込んであることは本件の問題がおきてから知りました。」と供述しており、本件土地が昭和二十二年から昭和二十五年末まで被控訴人の自作地であつたと認むべき証拠はない。もつとも、原審証人佐藤長平、高橋栄信、林寅之劫の各証言を綜合すれば、昭和二十二年当時湯沢村農地委員会は、被控訴人を不在村地主と認めて被控訴人所有農地について買収計画を立てたが本件農地は、事実上高橋恒太郎が耕作していることを知りながら被控訴人と高橋恒太郎とが本家分家の関係と従兄弟関係と二重の密接な関係にあることゝ、被控訴人の父が湯沢村に対し功労があつたことから、本件土地を被控訴人の自作地と認めてこれにつき買収計画をたてなかつたことを認めることができるけれども、右事実をもつて本件土地が昭和二十二年当時被控訴人の自作地と認めるに足る資料とはなし難く、その他本件一切の証拠を調べても前段認定事実を左右するに足る証拠はない。

しかしながら、原審証人高橋恒太郎の証言、原審における被控訴人(原告)本人尋問の結果によれば、本件土地は湯沢村農地委員会に対する関係においては被控訴人の自作地として認められていた関係上、本件土地の高橋恒太郎に対する使用貸借の設定については、その当事者たる被控訴人と高橋恒太郎とは農地調整法(当時は昭和二十一年法律第四十二号による改正を経たもの)第四条第一項、同法施行令第二条による許可又は承認の手続きをとらなかつたため、同法第四条第三項により法律上の効力を有せず、事実上の使用貸借関係に止つていたものといわなければならない。

しかるに、被控訴人は昭和二十六年一月頃に至り、高橋恒太郎の懇願に応じ、本件土地につき、期間を昭和二十五年一月一日に遡らせ、昭和三十九年十二月末日までとし、賃料を一ケ年三百十五円とする賃貸借契約を書面によつて締結したことは当事者に争がないけれども、右賃貸借契約については被控訴人主張の如く農地調整法(当時は昭和二十二年法律第二百四十号による改正を経たもの)第四条、同法施行令第二条第二項、同法施行規則第八条第六条によつた適式の賃貸借契約承認手続を経なかつたことは原審証人高橋恒太郎の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果によつて明らかである。控訴人は、湯沢村農地委員会は昭和二十五年十二月十四日の会議でなされた議決に基き昭和二十五年一月十四日に遡つて前記賃貸借を承認したと主張しているけれども、成立に争のない乙第六号証(昭和二十五年十二月十四日開会湯沢村農地委員会議事録)その他本件一切の証拠によるも、湯沢村農地委員会ないしは同村農業委員会において本件賃貸借につき適式の承認を与えたものと認め難いから、本件賃貸借は農地調整法第四条第三項により法律上の効力を生じないものといわねばならぬ。

なお被控訴人は右賃貸借契約は意思表示の要素に錯誤があるから無効であると主張しているけれども、農地調整法第四条による承認がない点においてすでに無効であることは、前段説示のとおりであるから、要素の錯誤の点についての判断の要を見ない。

しかしながら、湯沢村農業委員会が昭和二十七年一月十二日買収計画を定めたとき、本件土地は、高橋恒太郎によつて耕作されていたことは当事者間に争のないところであり、昭和二十二年以来高橋恒太郎が賃料の定なく、昭和二十六年一月以降は賃料を定めて本件土地を耕作し、現実の耕作関係が自創法第二条第二項に定められている小作地と同一の事実上の関係にあつたことは前段認定の通りであるから、前段説示の理由により法律上無効である場合でも、本件土地が自創法第三条第一項第一号の小作地に包含されるものと解するのが相当である。(最高裁判所昭和二十八年(オ)第一、〇八三号同二九年一二月二日第一小法廷判決参照。)

さらに、被控訴人は、譲渡政令第一条第二項により本件土地の買収は行い得ないものであると主張しているけれども、本件土地が昭和二十二年以降事実上の小作地であることは前段説示のとおりであるから、譲渡政令第一条第二項は本件買収処分には適用されないことは多言を要しない。

以上説示したように、本件農地買収計画並びに買収処分が違法になされたものとする被控訴人の主張はすべて理由がないものと断ずるの外はないから、本件買収処分が違法であるとして、これが取消を求める被控訴人の本訴請求は失当としてこれを廃却すべきものである。よつて被控訴人の本訴請求を認容した原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 大江保直 草間英一 猪俣幸一)

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